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Action

自分自身の活動について

2020  4/16「Detail-A」を発表 !!

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実験的なアルバム「Detail-A」を配信開始しました。
@Sketch よりもさらに短い、1分くらいの小曲集です。
詳しくはこちら。LinkIcon

  

2018  12/05「@Sketch #01」を発表 !!

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新しいアルバムを全世界に向け発信しました。世界の主要な音楽配信サイトで聞ける、インストゥルメンタルの小曲集です。詳しくはこちら。LinkIcon

  

2018  02/09  りはびゃん 1st Live 大成功っ。

ボクがリーダーでドラムのお気楽バンド「りはびゃん」。緊張と興奮の中、熱いフュージョンナイトを無事に終えました。 観に来て下さった皆様、本当にありがとう。
詳細ページはこちら。 LinkIcon

  

山元志津香 俳句 音楽と共に 2 2017  08

5年前に続き「八千草 20周年 CD」を作りました。俳句の先生である母の代表句に、ボクが音楽をつけた第2弾です。この CD ¥1200 にて販売中です。

外部リンク > 八千草 CDのご案内   LinkIcon

  

ポータブル DEAGAN 制作記 2016  01

工作をこよなく愛するわたくし。
ここ何年かで一番の力作といえば、
ヴィブラフォンを、持ち運べる形にする改造でした。
詳細(長文・笑)はこちら。 LinkIcon

  

「りはびゃん」 2014  05 〜

ボクがリーダーでドラムのバンドを立ち上げた。
「リハビリ」と「リハーサル・バンド、略してリハバン」を合わせたバンド名。向上心溢れるメンバーが集結。2ヶ月に1度くらいのペースだが、ドラムを定期的に叩けるのは嬉しいコト。リハーサルがメインのバンド。

  

mixi CD 2007 〜 2013

「mixi 山本はるきち・コミュニティ」で1年ごとに作ってきたシングルCDも、2013年10月でひとまわり、めでたく完結しました。6枚分、12曲を収めた「アルバム」を作りたいと思っています。どうかご期待あれ。

  

母「山元 志津香」と一緒に作ったCD 2012

ボクの母は、俳句の先生をやっています。「八千草」という結社が15周年を迎えるにあたって、息子、ひとはだ脱ぎました(笑)。母の代表句と、作曲家「山本はるきち」のコラボレーションです。八千草会のみなさんに配布しました。

  

2011  12/4 KENSO Live in Club-Citta

オリジナル・メンバーの「小森啓資氏」が参加を見合わせるということで、ドラムを任されたこのライブ。ボクが叩いていた初期の曲を中心に構成された「創世記 kenso」ライブが実現した。詳細はこちら  LinkIcon

  

2010  2/11 カイコーズ Live

「KENSO」のリーダー清水さんが「KENSOとは違うアプローチでライブをやりたい」との話が上がり、実現したライブ。現KENSOメンバー3名に、ボク(Drums)と石黒彰氏(Keyb)を加えて行われた。新横浜 サンフォニックス・ホール にて。詳細ページへ  LinkIcon

  

2008  5/17  Solo Live in Mandara

記念すべき日。約20年ウラカタの音楽家としてやってきましたが、時期(とき)が来ました。山本はるきち、ステージメインに復活です。ワンマンを自己企画するなんて初。ボクにとっての「リスタート・ライブ」です。
詳細はこちら  LinkIcon

  

2007  11/3  Nostalgia Event in Sapporo

「Look for Nostalgia Harukichi Yamamoto」の発売を記念して、札幌 エイジアンブルーで行われたイベント。ここから自分の目指す道が見えてきたと言ってもよいほど「重要な」ターニングポイント。詳細ページへ  LinkIcon

  

Look for Nostalgia Harukichi Yamamoto

2007  10/25 Discovery Firmから発売されたミニアルバム。LOOKをふりかえり、セルフカバーしました。すべて歌ってます。Mini Album 6 songs ¥1,500
外部リンク > 販売 Discovery Firm  LinkIcon

  

若かりし頃・・・・・

 
<高校時代の自主制作アルバム>
音大付属高校の定期演奏会をレコードにしていた会社に直接マスターテープを持ち込み、100〜200枚つくった。作詞以外はすべて自分ひとりの多重録音による。歌とインスト半々。もちろん "レコード盤"(笑) 「1979 THE HARUHIKO」「1982 PLUM THE HARUHIKO」
 
<大学時代はジャズ研>
授業よりもジャズ研の方が大事だった(笑)。ドラム、ピアノ、ベース、サックスなど、足りないパートを演奏していた。学内にいないパートは外部から誘って色々なセッションを楽しんだ。NHKでおなじみの作曲家「堀井克美」(三枝成彰 門下つながり)率いる「SCRATCH」に少しのあいだ Drums で参加したりもした。
 
<KENSO>
1980年から1984年までドラムで参加。日本のプログレッシブ・ロック界ではとても有名なバンドで現在も活動中。リーダーは歯科医の清水義央氏。このころ、ポンタ村上に憧れ、自分はドラマーになるんだと思っていた。 アルバム 「KENSO」「KENSO ll」「KENSO 3rd」などに参加。
 
<LOOK>
1985年「シャイニン・オン君が哀しい」でデビュー。シンセサイザー・プリンス担当(笑)。4人の歳は偶然にも近かったが、血液型も違えば個性もかなり違い、そこが特徴であり売りであった。シングル8曲のうち、ラスト2曲「ONE DIMEの夢」「冬のステーション」を作曲。 駆け抜けた4年間。アルバム「BOYS BE DREAMIN'」「LOOKIN' WONDERLAND」「WINGS」「OVER LOOK」 プロモーションビデオ・クリップ集「ルックの大冒険」
 
<L3C>
1989年、ボーカルに大和邦久を迎えて心機一転、すこしアダルトに。ディナーショーも出来るバンドとささやかれた(笑)。シングル「さよならは冬の星座」「もっともっと」 アルバム「I LOVE YOU」リリース。非売品カセットで「Y’S FAVORITE」なんていうのもある。
 
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その後は、ウラカタの音楽家として活動すべくステージを降り「仕事として」音楽にかかわるようになる。